≪警告≫ ロコツな性的描写を含みます。というかそればっかりで、かつ少々SM風味(?)です。実年齢的&精神的大人の方で、不都合のない方、よろしければおつきあいくださいませ。


VOICE


「そういうのも仕事だろ。つまらん駄々こねてないでさっさと行ってこいって。プロなんだからさ」
 もののわかった大人ぶって、文句タラタラの左之助を夜の中に叩き出した。けれどなにも喜んで送り出したわけじゃない。
「ちぇーなんだよったく。なんでそんなとこに家の鍵なんか入れとくんだバカ女め!」
 ドアを閉めた途端、つい口汚く罵ってしまったが、このくらいは許されると思う。
 十日ぶりに顔を見て一時間も経っていないのに。とりあえずシャワーを浴びて、さあ晩ごはんを食べようというところだったのに。
 土産を買いすぎて機内預け荷物の重量制限を超過した? 目方減らしにログブックと図鑑のセットを人のキャスターバッグに突っ込んだら、そこに家の鍵を入れていた? しかも家に着くまで気づかなった?
 放っとけそんな奴!と叫びたかった。一人暮らしのキャリアウーマンだろうが、明日朝イチで大事な出張を控えていようが知ったことか、と言いたかった。そして真夜中に帰って来る左之助のために炊き上げたほかほかのさんまごはんを一緒に食べて、土産話を聞いたりなんかしながら、朝まで左之助の腕のなかにいたかった。
 でもそんなことは言えない。言ってはいけない。
 なぜなら、今回のポナペ旅行が遊びではなく、左之助が引率助手として同行したダイビングショップのツアーだったからだ。彼が入社四年の下っぱで、インストラクターになりたての新米で、一方そのバカ女は店の上得意で、しかもその鍵が入っていたのが左之助の荷物だったからだ。
「あーもう! なんだよそれー」
 左之助に仕事で手抜きはさせたくなかったし、まして彼の店に迷惑をかけるなんて真っ平だった。だから左之助がこんな夜の夜中に京都から明石まで往復しなければならないのも仕方ないとは思う。じゃあ一緒に行こうと言われても、はいそうですかとドライブ気分でくっついていくわけにはいかない。実際のところものすごく腹が立っていたとしても、そんなこと口にできるわけもない。
 なのに左之助ときたら。なにが「冷たい」だ。なにが「泣いてやる」だ。なにが「十日も離れてて平気なのか」だ。
「平気なわけないだろ馬鹿! どんだけ待ってたかわかってんのかよー」
 ちょくちょく泊まりにくる彼のために食器こそ倍に増えたものの、家具は二年前と変わらず少ない。リビングダイニングには大きな一枚板の座卓がひとつあるだけ。その上にはお茶碗がニ客。吸い物のお椀がふたつ。箸休めの酢の物。それから、炊き立てのさんまごはん。米はもちろん新米。だしは腕によりをかけてとった一番だし。朝の仕事を終えたその足で出町の乾物屋さんに行って鰹節を削ってもらった。さんまは行きつけの魚屋さんに三日前から頼んであった。さんまの炊き込みごはんは一度焼いてから炊く方が断然おいしいので、きちんと塩焼きにしてから炊いた。それにグリルと炭火では全然出来栄えが違うから、わざわざ狭いバルコニーに七厘を出して焼いた。夜の九時に近所迷惑も省みずにだ。そしてバスが着く時間に合わせて土鍋炊き。クプクプと鳴る音に耳を澄ませて、慎重にも慎重を期して炊き上げた。
 南の島から帰ってくるならやっぱり和食がいいだろう。見るからに豪勢だとこれ見よがしでいやだから、一見さりげなくて、でもおいしくて嬉しいのはなんだろう。そう思って必死で考えて、用意したごはんだった。
 出来は完璧だった。でも冷めていく。刻一刻と、冷めていく。
「うー、俺が泣きたいー」
 などと十歳も年下相手に口が裂けても言わないのだが、本人がいないのをいいことに言ってみた。言った瞬間、大失敗をやらかしたことに気づいて猛烈に後悔した。
「くそぅ。鼻水が……」
 ひとり空しく呟いて、目からこぼれた鼻水をぬぐう。
 そうだ。気分転換に洗濯でもしよう。
 荷物は阿呆女のログを取り出すときに盛大に広げたままリビングの床を占拠している。これなら勝手にいじっても文句を言われる筋合いはないだろう。どうせ明日洗うか今洗うかだけの差だ。明石まで車で往復するなら、こんな深夜とはいえ三時間ではきかないと見た。衣類をまとめて突っ込んであるメッシュの袋をつかんで洗面所に行き、バサバサと放り出して仕分けを始めた。
 丸一日以上かばんに詰め込まれていた洗濯物はさすがに臭い。海くさくて、汗くさくて、左之助くさい。
「………」
 一瞬固まった後で洗剤を放り込み、「しっかり洗いコース」のボタンを力任せに叩いた。
「うりゃ、スイッチオーン!」
 ふたを閉めてリビングに戻ってから、水着とラッシュガードの入った袋が残っていたのを発見した。
 まあいい。どうせ「デリケート洗いコース」組だ。第二弾の待機カゴに合流させようと引っぱり出すと、現地の英字新聞に包まれた塊が転がり落ちた。
 ごろん……。
「ん?」
 なにかの土産にしては中途半端な細長さ。手に取ると、意外に軽い。
「なんだ?」
 なんとなく不審な感じがして、粗い新聞紙を解いてみた。
「げ」
 なんだなんだなんだなんだ!! なんだコレは! なんだってダイビングショップのツアーを引率してミクロネシアのアイランドリゾートに行った人間がこんなモノを持って帰ってくるんだ?!
 思わず取り落としてしまったその非常識極まりない物体は、男性性器の形をした木の棒だった。驚くほど精巧でご丁寧にも準備万端な状態を生々しく再現したそれは、黒っぽい光沢を放っていて、しかもなんだかよくわからない渦巻き模様が描かれている。
「あいつ馬鹿すぎ!」
 心臓がバクバクいってるのは、信じられないものを見て驚いたせいだ。べつにそれが左之助のにそっくりだからとか、びっくりするくらいリアルで動き出しそうな気がしたからとかでは断じてない。
 とっとと元通りにくるんでしまおうと思ったが、どうにもこうにも手が出ない。といって目を逸らそうにも逸らせない。
 困った。なんだか変な感じになってきた。
 胸のドキドキはおさまらないし、体の奥はぼうっと灯がともったみたいに熱くなってくるし。
「………」
 ああもうなにを考えているんだか。
「おおお落ち着け俺!」
 放り出したままだった水着セットを持って洗面所に逃げ込んだ。中身をカゴに開けて洗濯機の様子をのぞき、そこでまた失敗に気づいた。
 出発の日の朝、ちょうど同じように洗濯機をのぞいていたところを後ろから抱かれた。そういえばあれ以来なのだった。
 今度は洗面所を逃げ出した。
 でも考えてみたらというか考えてみるまでもなく、どこにも逃げ場はない。寝室はもちろん、リビングもキッチンも洗面所も浴室も廊下も玄関も、家中そこかしこに左之助の気配がこもっていたからだ。
 ふらふらとリビングに戻って、ぺたりと座りこむ。
 気がつくと手が自分のものでなくなっていた。
 もう二、三時間もすれば左之が帰ってくるのに、なんでこんなとこで一人でこんなことしてるんだろう。
 そう思いながらも、止めることができなかった。指はもう左之助の指になっていて、好き勝手に乳首をこね、ペニスを扱いている。いつも左之助にされているように。つまんだ乳首が揺すられて、全身にしびれが走った。
「ふ、んっ」
 ひとりで聞く自分の声がこんなに恥ずかしいとは思わなかった。そう思ったとたん、頭に血が上って身体が震えて、また声が出た。
 今度は下の手が動く。左之はいつもこんな風にする。裏側を擦り上げたり、後ろの袋をいじったり、筋をなぞったり。それから先を指先でひっかいて苛めることもある。こんな風に。
「ひっ。い、あっ……」
 涙が出た。
 さの。呼ぶと左之助はちょっと意地の悪い顔をして言う。
 どうしてほしい?
 どうにでもしてほしい。あの顔であの声で囁かれると、もうなにも考えられない。そんなことを言うと調子に乗るので言わないけれど。
「あ、あ、あっ」
 結局この手が全部を支配しているのだ。好きなように煽って追い詰めて苛めて、いつどんな風に終わるかも全部この手が決める。
 いきたいんだろ? 素直に言えばいかせてやるぜ?
「ん、はっ……!」
 こんな風に。
 ラグに横たわったまま、荒い息をつく。
 一体なにが起こってるんだろう。
「はぁ、はぁ。う……」
 変だ。絶対変だ。こんなのおかしい。なんでこんなことを考えてるんだ。一体全体なにをしようとしてるんだこの手は。
 あーあ、こんなにヒクヒクさせて。どうしてそんなにイヤラシイんだ?
 左之助が指を入れる。出したり入れたりして、入口のところが痺れたようになる。
 いつのまにか手にそれを握っていた。
 黒々とぬめった光を帯びて、今にも動き出しそうに張りつめた、あの物体。やっぱり似ていると思った。左之助もちょうどこんな風に大きくなって、硬くなって、すごく硬くなって、熱くなる。見ているだけで、身体が溶けそうだった。だれかがごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。後ろの穴に硬いものが触れて、身体がびくりと跳ねた。
 欲しいんだろ?
 目をぎゅっとつむると、手がそれを押し込もうとしているのが判った。
「……っ! つ、あっ、はっ」
 そんなもの入るわけがない。
 いやださの。無理。入るわけない。頼むから。
 欲しいくせに。素直に言わないと後で酷いぞ?
「い、つぅ……」
 手は止まってくれない。強引に割り開こうとさらに力を増す。
 ほら、
「手伝ってやろうか?」
「……ひ!」
 きっと三十センチは飛び上がったと思う。そのくらい驚いた。ふいに耳に流れ込んできた声は、さっきまでの幻聴とは明らかにちがって、本当に現実の量感をもった肉声だったのだから。びっくりしすぎて、明石を往復してきたにしてはいくらなんでも早すぎるだろう、なんてことまで頭が回らなかった。
 多分、逃げようとしたと思う。
 目の前がチカチカして、背中は冷や汗でびっしょりで、手も足も震えて膝は笑っていたけれど、とりあえずどこかに隠れて、そしてできればもう二度と出てきたくなかった。このまま世界が終わればいい、と思った。けれど、左之助の手が、大きくて節ばった本物の左之助の手が、しっかりと頭を押さえていた。四つん這いになってお尻を突き出した最低な格好のまま、どうすることもできない。
「お前かわいいなあ剣心。あんなこと言ってたくせに、ほんとはそんなに寂しかったんだ。もしかして、俺がいない間ずーっとそうやってひとりで遊んでたか?」
 ちがうちがうちがう。ちがうったらちがう。
 左之助の手がお尻を撫で回している。そうされると、さっきしたばかりなのに、みるみる大きくなっていく。
 最低だ最低だ。どうしてこんなことになってるんだ。
 実はそれはご奇特にもそんなバカ女にぞっこん惚れてるアウトスタッフがいて、そいつが吹田まで来てくれたせいだったりするのだが、そんなこと知るわけがない。
 もう、とにかくなにもかもがたまらなくどうしようもなくて、首振り人形のように首を振る。
 でも左之助は放してくれるつもりはないようで、背中を舐めたりお尻を揉んだりして遊んでいる。遊んでいると思うのは、彼が笑っているからだ。見なくても声でわかる。喉の奥の方がクツクツいってる。きっと意地の悪い顔をしている。そんな声だった。
「続き、していいんだぞ。見ててやるからさ」
 ぶんぶんぶんぶんと必死で首を振った。
「ちゃんと使えばすっげーいいはずだし」
 いらないったいらない!
「向こうのスタッフに器用なヤツがいてさ。わざわざ作ってくれたんだよな」
 そんなこと知らん! ……ん? わざわざ作って?
 疑問が顔に出たのかもしれない。
「話してるうちに盛り上がってよー。帰るまでに作ってやるって言って、ほんとにできちまったもんなあ」
 特注?
 あ、しまった、また顔に出た。
「だからホラ、俺用っていうか、お前用?」
 うわーうわーうわー! だからいらないってば!
 ぶんぶんと首を振り続けて、目が回りそうだった。
「これホントはこうやって使うんだ」
 左之助の声が遠ざかった。その隙に逃げなかったのはどうしてだったのか。
 コップに水を注ぐような音がした。
「中にお湯を入れる、と。そしたらホラ、あったかくなるだろ?」
 そんなしくみになっていたのか、とうっかり感心してしまった。大うつけだ。
 お湯を入れて戻ってきた左之助は「それに」と言って、嬉しそうに笑った。
 握らされた瞬間、かなぐり捨てた。
「うわあっ!」
 ほんのり人肌に温まっていることなんかより、例の渦巻き模様が盛り上がってデコボコと掌を刺激することにびっくり仰天したのだ。
「な。入れたらどうなるかわかるだろ」
 ――――――!!
「ほらよ」
 また握らされた。
 やだやだやだやだやだやだっ!
 喉が詰まって声が出ないので、とにかく首を振り続ける。だめだ。ほんとに目が回ってきた。頭がクラクラする。
「勝手に引っぱり出してやろうとしてたのお前だろ?」
「い…や。ぜ、たい……や」
 変につっかえた声がガラガラヘビのようだと思った。いや、もちろんガラガラヘビの声なんか聞いたことはないけれど。
「そっか。そんなにヤなら仕方ないか」
 全身の力がどっと抜けた。きっといかにもホッとして見えたんだと思う。左之助はまた嬉しそうに笑って、そうしてどこからか取り出したタオルで両手両足を縛り上げてしまった。
「え?」
 やれやれと安堵して気が抜けていたのが悪かった。なんの抵抗もできないまま縛られてしまうなんて。今回は気絶させられていたわけでもないのに、なんたる不覚。
 でも腹を立てる間もなく全身の血が音を立てて引いていったのは、
「素直にうんって言えばいいのに」
 と言った左之助に、座卓に磔にされてしまったからだ。てきぱきと卓上を片付け、手足を縛っていた紐をいったん解いて四方の脚にくくりつけた手際のよさは、我が事でさえなければパチパチと手を叩いて称賛してやりたいくらい見事だった。きっと職場で習ったにちがいない。くそ、いらんことばっかり教えやがって。
 けど、物騒な上司だか先輩だかを怨んでいる場合じゃなかった。
「さ、さの、おい冗談、俺そんな趣味ないって」
「ってどんな趣味」
 だめだ。こいつがこんな顔してるときはろくなこと考えてないに決まってる。そんでもってちょっとやそっとじゃ諦めないに決まってる。
「まじで外せってば!」
「お前が悪い。ちょっと反省しなさい」
 言いながら、またまたどこからか出てきたタオルで口をふさがれた。またさるぐつわか?!
 大体反省ってなんだ! 悪いのはそっちだ。お前がいないのが悪いんじゃないか。
「んー、むもー」
 無意味と承知で、つい唸ってしまった。
 再びタオル。今度は目隠し。白いから陰影くらいはぼんやりとわかるけど、体が利かない状態で視界が奪われるのがこんなに不安だとは思わなかった。海の中でロストするよりなお悪い。
 わずかな音がびっくりするほどよく聞こえるし、全身の感覚がすごく研ぎ澄まされていく感じがする。ほんのちょっとした衣擦れの音だけでも、左之助がどんな動きをしているか想像がつく。部屋の空気が動くのも手に取るようにわかる。
 新鮮な発見。束の間、今の状況を忘れた。
 もちろん、すぐに思い出す。
 思い出した瞬間、内臓が縮こまった。体がざわざわし始める。
 どうしようどうしよう。
 服が中途半端にまとわりついているのが余計に気にかかる。シャツは首までたくし上げられているし、下着とジーンズは一緒に左の足首に絡まっている。
 なんであんな馬鹿なこと。しかも左之助に見られるなんて。
 今も。
 見ている。見られている。
 ふと、乳首が硬くなってるのに気づいた。さっきからずっとかもしれないけれど。でも今きっと左之助はここを見ている。わかる。だって視線で痛い。
 もうこんなビンビンになってる。自分でいじってたんだろ。どんな風にするんだ? こうか? こうか? こうか? それともこう?
 体がびくんと跳ねた。
 どうしよう。痛いほど尖ってるのなんか見なくてもわかるけど、せめて乳首が震えてる気がするのが気のせいであってほしい。だって左之助が見てるのに。そんな、ぴくぴく震えてたりなんかしたら、ほんとにいじられてるみたいに疼いてるのがバレてしまう。
 考えただけで目の前が真っ赤になった。さるぐつわを噛みしめる顎が震える。
 とっくに大きくなってた先端がじんじんしてきた。熱い。熱くて、それから……。
 すっげーぬるぬる。ほら、こんなとこまで垂れてる。
 つつつーっと、生ぬるいものが伝っていく。粘度のある液体は、ゆっくりと、なめくじが這うみたいにゆっくりと伝い下りていく。
 んっ。
 自分の息がすごく荒い気がする。お腹が大きく波打って、くぐもった声が洩れるのを抑えられない。左之助はどこにいるんだろう。自分の呼吸音がうるさくて、どくどくと打つ鼓動が邪魔で、周りの音が聞こえない。どこにいるんだろう。どこまで見られてるんだろう。こんなにたらたらと零しているのを見て、どんな顔をしてるんだろう。
 いやだいやだいやだ。もう死にたい。こんなのいやだ。こんな風に見られるなんて。
 ウソつけ。それがいいくせに。感じてんだろ? 俺に見られてると思うだけで。なにされるんだろうって想像して。
 ちがうったらちがう。見るな見るな見るな!
 全身がびくびく痙攣するのを止められない。熱い。それにもう限界だ。痙攣するたびに揺れて、もうほとんど痛い。
 ふいに足元で空気が動いた気がした。風とも呼べないくらいの微かな空気の流れ。十時十分みたいに開かされた両脚の間に。
 あ。
 いる。そこにいる。見てる。全部見られてる。
 まだなーんもしてないのに勝手にこんなんなって。どうしてそんなにイヤラシイんだ?
 見るな。お願いだから。気が狂う。頼むからもう許して……。
 爪先から頭の天辺まで、なにかすごいものが駈け抜けていった。毛穴のひとつひとつから左之助の視線が入り込んで、体の内側をぞろぞろと撫で上げていった。
 涙が出そうになって、そしてあまりにも突然に最後がきた。なにが起きたのか判らない。呆然とした。びっくりしすぎて最初は恥ずかしいとも思わなかったほど、それは唐突で強い波だった。
 でもショックはすぐに去って、それから気を失うほどの羞恥がやってきた。
 血がザアザアと音を立てて逆流して、顔も体も発火しそうに熱い。
 手足の力が抜けていく。
 もういやだ。もういい。なにも考えたくない、なんでもいい、どうでもいい、どうなってもいい。
 目隠しがあたたかく湿るのがわかった。しゃくりあげる自分の声が、どこか遠いところで聞こえる。
 衣擦れの音が混じった。ジーンズの擦れる音。近づいてくる。
 左之助の匂い。空気が濃さを増す。
 彼が近寄ってきたのがわかって、なぜかほっとした。ほっとしたらまた涙が出た。
 やっと外された目隠しは相当ぬれていたと思う。
 眩しい。
 反射的に目をつむって、それからゆっくり開いていくと、逆光のなかに左之助のシルエット。好き勝手な方向を向いた行儀の悪い髪の毛が蛍光灯の光にとけている。
 また涙が出た。今度は止まらない。
 目がなれてくると、左之助の口がぱくぱくと動いているのが見えた。不思議と声は聞こえない。聞こえないけど、とりあえずうなずいた。壊れた人形のように何度もうなずいた。うなずくしかなかった。だってそれ以外になにができる。
 それからさるぐつわが外されて、また嗚咽が洩れた。
 その後でようやく縛めが解かれた。けれど手も足も動かない。全然力が入らなくて、それこそ本当に指一本も動かなくて、まるで自分のものとは思えなかった。えずくように必死で呼吸をするだけの体を、左之助の腕が抱き起こしてくれた。
 関節がギシギシと痛んだけど、そんなことはどうでもいい。
 十日間、夢にみた胸に顔を埋める。みっしりと詰んだ胸にもたれかかると、焦がれた腕が抱き締めてくれた。
 もう大丈夫。なにも心配いらない。悪いことなんかなにも起こらない。
 ぎゅっと強く抱かれると、心の底からそんな気持ちが沸いてきた。
 よく灼けた肌は熱かった。背中をさする掌も熱かった。
 太陽と海と左之助の匂いに満たされて、世界がすごく穏やかに感じられた。
「さの」
 見上げた左之助の顔はやさしかった。哀しくなるくらいやさしく笑っていた。
 涙が止まらない。
「ごめんな剣心。俺が悪かったんだよな。でもお前も強情はるからだぞ? 最初からそういう風に言ってりゃ、んなことしなかったのに」
 そういう風?
 なんだろう。なんか言ったっけ。言ったかもしれない。さるぐつわを外された後、なんだかいろいろ口走った気もするから。
 でもなにを言ったんだろう。
 気にならなくはないけれど、でもそれももうどうでもいい。覚えていたら、明日の朝にでも訊いてみよう。そう思って目を閉じた。目を閉じると、また左之助の匂いでいっぱいになった。
「さのくさい」
 無意識に口にしていた。
「お前もたいがい汗ドロだっての。よいしょ」
 あれ。そういう意味で言ったんじゃないのに。つい顔が緩んだところで、ひょいと持ち上げられた。そして風呂場に連れていかれた。
「水に流して仕切りなおしってどうよ」
 笑った顔がなんだか無性に懐かしくて、思わず口づけた。キスしながらシャワーを浴びて、シャワーを浴びながらまたたくさんキスをする。マンションのユニットバスは二人には狭かったけれど、それもやっぱりどうでもよかった。
 左之助はすごくやさしかった。本当にやさしく、してくれた。
 背中や脇腹を十本の指でピアノでも弾くみたいに行き来したり、胸に口をつけてほおずきの種でも抜くようにほろほろと舌を転がしたり。口でしている間も、ずっと左之助の手が頭を撫でてくれていた。ときどき、空いてる方の手で顎の下や耳の後ろをこそばしたり、形通りに盛り上がった頬のふくらみをなぞったり、頑張って動かしている手を口に持っていって舐めたりもした。見上げるたびに大好きな黒い瞳と目が合った。なんだか猫にでもなった気分で、穏やかで温かい空気が心地よかった。
 それから、中に入ってきた。妙にそうっとしているのが可愛かった。体中が左之助でいっぱいになる感覚が切ない。たまらなくなって首にしがみつき、名前を呼ぶ。左之助の呼ぶ声が耳から入って血管を通り、体の芯に運ばれていく。激しく動いたわけでもないのに、やってきた絶頂はものすごく強烈で深かった。
 多分、それから何度かしたと思う。結局いつもと同じで、気がつくと朝だった。左之助の腕のなかで大きなバスタオルにくるまっていた。肌はさらさら。シャワーを使わせてくれたらしい。
 左之助はまだ眠っている。さすがに長旅の疲れが出たのだろう。洗濯物洗いなおさないと、と思いながら、目の前の胸に唇をつけた。よく灼けた肌が熱い。古代遺跡の残るあの不思議な島で、彼は憧れのブラックマンタに会えたのだろうか。きっと会えただろう。昨夜帰ってきたとき、そんな顔をしていた。初めてのブラックマンタ。叶うことなら一緒に見たかったけれど、多くは望まないと決めたはずだ。
 また目から鼻水がこぼれた。
「キス時々にわか雨」
 声に顔を上げると、目尻を吸われた。いつの間に起きていたのか、今朝の左之助はとろけるような目をしている。見ているだけで溶かされてしまいそうになる。なんとなく甘えたくなって、すり寄ろうとした。
 だが――。
「泣くなって。ほら、コレやるからさ」
 ひょいと目の前に突き出されたのは、あの、例の棍棒。
 いかん。うっかりほだされるところだった。
 結局こいつはこういう奴なのだ。甘い顔を見せたら図に乗る図に乗る。頭を切り替えなければ。
「いらんわ馬鹿者!」
 よし、いい感じ。がんばれ。
「だいたいお前は仕事で行ってて、なんでそんな馬鹿なものをだな……。っていうか、これ、特製って言ってたよな?」
「ん? ああ、うん」
「もしかしてっていうか、もしかしなくてもモデルお前?」
「お、よくわかったなー。さすが愛用者!」
 これくらいで赤面するなんてまだまだ修業が足りないと反省しつつ、とりあえず胸に一発張り手を入れておく。
「話が盛り上がってって言ってたけど、どんな話したらそうなるんだよ」
「え……。や、いや、その。てかお前よく聞いてたな、あの状況で」
 あの状況。思い出して、顔が思い切り火を噴いた。
「だからそれはもういいから!」
「いやーよくないだろやっぱ。俺の剣心にそんな寂しい思いをさせてたのかと思うと俺ぁもう……」
「うわー!もう!言うな言うな言うな言うなー!」
 考える前に手が出ていた。懐からのアッパーはかなり効いたようだ。しかも仰け反った頭が壁にぶつかって、ベコンと低い音を立てた。
「ってー……。お前、ツアー帰りでお疲れの人間にそれはないだろ」
「……う。ごめん」
 素直に謝ったのは、そう言われてさすがに少々悪かったような気がしたからだ。まさかくだんの木製玩具が、近くの無人島にキャンプに行った夜、スタッフ連中と「だれがいちばん恋人を悦ばせているか」などという馬鹿馬鹿しい話題で盛り上がった挙句の土産だと知っていれば、絶対に謝ったりなんかしなかった。まして酒の勢いにまかせて背比べまでした結果の戦利品だとか、ついでだからなにか細工ができないかと言い出したのが当の左之助だったとかいう気の遠くなりそうな真相を知ってさえいれば、謝る謝らない以前にアッパー一発で済ませたりなんか断じてしなかった。
 というか、ほんとにこんな奴でいいのか俺?


END/2004.09.15

拍手


謹呈 「MOON VILLAGE」Tsukiさまへ
元はといえば、作中の左之助並にお下品な○○○話で盛り上がってできたこの話。なんかえらいことになってしまったけど、もらってやってくれてありがとう! っていうか、ホンマにええの?(笑) ようこ拝









全体目次小説目次
Copyright©「屋根裏行李」ようこ All rights reserved.
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送